常磐線史上の大革命! ~50年前の複々線化と地下鉄との直通でガラリと変わった~

北千住駅の乗り換えは初めてだと迷いませんか?

北千住駅で常磐線の快速と各駅停車の電車に乗り換えるとき、初めてだと迷ってしまうという方も多いのでは?(私もそうでしたが……) そう思って調べてみたら、1971年のダイヤ改正で、常磐線の大革命があったことがわかりました。2021年からはちょうど50年前の出来事です。
その大革命の前までの常磐線は、取手方面と上野方面で1本ずつ線路を使って運転する複線。朝の通勤時間帯はやはり都心に向かう人が多く、上野方面の1本の線路には特急、水戸方面からの中距離電車、各駅停車を運転していたため、輸送量が限界を超えて混雑が半端ない状態だったそう。そこで当時の国鉄は、常磐線以外の路線も含めて、混雑緩和を図ろうとかなり大胆な手に打って出ます。

常磐線の歴史が動いた! 各駅停車が上野行きから千代田線直通に

常磐線の混雑緩和策の一つが複々線化。文字通り複線が2つのことで、新たに2本の線路を敷いて、取手方面と上野方面で2本ずつの線路を使うようにしました。道路でいえば、片側1車線だったのを2車線にするようなものでしょうか。
さらに、同じ方向に向かう2つの線路を、各駅停車用と、それ以外の特急や中距離電車、快速用に分けました。それぞれ独立して線路が使用できるので、時刻表通りの運転や、利用者の分散が図られたのです。

複線が2つ、線路が計4本の複々線。左から、常磐線各駅停車の千代田線方面、我孫子方面、常磐線快速の上野方面、水戸方面。

常磐線の混雑緩和策は、これだけではありません。この複々線化と同時に、各駅停車の地下鉄千代田線との相互直通運転が始まりました。それまでの常磐線は、すべて上野始発、上野終点だったのですが、各駅停車は千代田線との直通運転の開始で、北千住から上野方面には行かなくなり、地下に潜っていくことに。日暮里や上野が目的地だった各駅停車の利用者は、北千住で快速に乗り換えが必要になりましたが、大手町や日比谷、霞ヶ関といったオフィス街への通勤は、日暮里や上野で乗り換える必要がなくなりました。 北千住駅ではこのときから、各駅停車の電車は千代田線ホームを使うようになったのです。それで、地下にある千代田線のホームと、地上にある常磐線(快速など)のホームが離れているのかぁ。理由がわかれば、納得できるってこともありますよね。

北千住~綾瀬間は常磐線? 千代田線?

千代田線から常磐線松戸方面に行こうとすると、時々出くわすのが綾瀬止まりの電車。千代田線が開業する前から北千住~綾瀬間は常磐線のはずなのに、どうして綾瀬が終点なんでしょう?
それは、綾瀬までが千代田線で、その先の松戸方面が常磐線(各駅停車)だから。となると綾瀬駅は、東京メトロの駅? それともJR東日本の駅? 答えは東京メトロが管理する共同使用駅だそうです。常磐線の駅だった綾瀬駅は、千代田線と常磐線の相互直通運転が始まるときに、営団地下鉄(今の東京メトロ)が管理する駅になりました。この歴史から、綾瀬~北千住間の運賃は営団地下鉄の運賃ではなく、安いほうの国鉄時代の運賃が据え置かれることになったのです。東京メトロとJRになった今も引き継がれていて、千代田線なのに常磐線の運賃という特例が設けられています。

初めて常磐線を利用するにはちょっと複雑な運行形態。

直通運転といえば、常磐線の快速電車が上野から品川まで乗り入れるようになったのが2015年。「上野東京ライン」として、東京駅や新橋駅にも乗り換えいらずで、これまた便利に。快速でも各駅停車でも、都心からダイレクトアクセスできて気軽に行けるのが常磐線なんです。

それにしても常磐線って奥が深すぎる……。不思議の裏にはまだまだ何かありそう。調べてみれば、常磐線に歴史あり、ですね!

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