※前編はこちらをご覧ください
難読市としても有名(?)な千葉県我孫子市。
難読市には難読地名も色々潜んでいました。
今回も難読地名とその由来を紹介していきます。
④日秀
私は読み方の見当もつきませんでした。答えは……

「ひびり」と読みます。
かつては「日出(ひいで)村」と称していました。平将門の死後、その魂が手賀沼を越えてこの地の大地に上り朝日を拝したことに由来するのだそうです。
実際にこの地域には平将門に由来する神社や井戸があります。

「日出」が「日秀」に変化した理由は、「ひいで」が「ひーで」と発音され「秀」を宛てたという説や、この地が元は新木村に含まれていたことから日没を意味する「日入」(ひいり)の方向の「へり」、日が落ちる縁(ひでり)と変化したなど諸説あるそうですが、最終的には語感から日秀村(ひびり)と呼ばれるようになったと考えられています。
⑤都部
いよいよ読み方がわかりません。答えは……

「いちぶ」と読みます。
ここは発戸(ほっと)村(現在の岡発戸)または芝原(しばら)村(現在の中峠)の一部であったそうです。
近世に入ってから「市部」(市場のように繁栄)や「都部」(都のように繁栄)という嘉字化(良い意味の漢字を充てること)が行われたと考えられています。
⑥江蔵地
これはわりと読めそうでしょうか……?

「えぞうち」と読むそうです。
蝦夷地から来た言葉とし、アイヌと関連付けられることもありますが、湖北にも同じ字名があり、「江」は川や沼などが陸に入り込んでいる部分を指し、地形と関連した名とも考えられています。
いかがでしたでしょうか?
難読市の千葉県我孫子市にはたくさんの難読地名が潜んでいました。そのそれぞれに特徴的な由来があり、調べれば調べるほど奥深い旅になりました。
皆さまも、地名とその由来を探す旅に出かけてみては……?